2012年6月12日火曜日

PROJECT -SECURITY BOX. INCHEON, SOUTH KOREA



おそらく韓国で正式に仕事にこぎつけたのはこれがはじめて。
インチョン空港の近く、現在新都市開発中の、セキュリティブースのデザイン提案の仕事をもらった。

定番でありが、プランを1つ提案してファサードのオプションを4つほどだして提示したところ、いいフェードバックが帰ってきたので、4つ中1つのオプションが採用されそうである。

内容がセキュリティブースなだけに、大きな空間ではなく、プランでもコンパクトでスマートなアイディアが求められる。
今回はエントランスにたどり着くまでにスロープを活用したり、ストーレッジ、倉庫、休憩室の位置、受付のダイナミックさ、すっきりとした建築物としての軽さ、さまざまを考慮してデザインを完成させた。

提出後、”韓国語で説明文を直してくれ”と要求される。”10分もかからないよ”

私にとっては10分どころではない。
以前、韓国で仕事をもらったときに失敗していること。

そして

思い出す。アメリカでもどちらかというとメールのやり取りやプレゼン、まとめるメモやノートが中途半端で、マネージャーからお叱りを受けた記憶がある。
今回説明文に対して失敗はならないと思い、最近他の仕事を一緒に始めているインテリアデザイン卒業の知り合いから急遽力を借りた。
私が最大限の語学力を使って韓国語と図面、イメージを並べて説明したところ、彼女が見事に纏め上げてくれた。
こういうことを繰り返すと、言語力は本当に身につく。

ありがたい人材に恵まれ、こうしてfirst draftを完成させられたことに感謝です。

韓国 公立の小学校事情



韓国の学校に通い始めて2週間が経過しようとしている。
インターの長い長い夏休みを利用しての体験入学。
初日からどきどきだった私の心配を吹き返し、彼は韓国の公立に楽しんで学校に通っている。

入学前に何回も足を運んだ私。
まず、英語を基本の授業だった彼が適応できるか、自由に育ってきた彼に韓国の勉強についていけるか、
などなどを繰り返し先生に尋ねる。

先生に言ったことは、”特別扱いしないでください”ということだけだった。

私は私なりに胃が痛かった。
数回足を運んで分かったことは、勉強はそんなに強制されないが、塾通いで教育に対してすしずめしてる親が存在する。良かったことはうちの近所は勉強をそんなに強制しない雰囲気がある。
初登校の前日にテコンドの先生やちょっと顔見知りの近所の子供に頼んで助けてもらうように言って下準備完璧。
主人も前日には学校偵察。

心配で初日は教室のドアの前で待っていた。終わりらしきベルがなる。

ん??

女の子に囲まれて出てくる息子。

なんだ。

ひょんじゅんくんのお母さん?なんて聞かれて、ほっとした。
かわいいじゃない小学1年生。


校庭にと飛び出しいきなり仲良くなった男の子と遊んでいる。帰りたくないという。
韓国の学校はワイルドだなんて聞いていたけど、こうやって見るとうちの息子の方がよっぽどワイルドじゃないか。

毎日生徒の送り迎えをするテコンド先生に会う。
勉強むずかしくない?という質問に、大丈夫だと答える息子。


先生に”多文化家族用の勉強プログラムがあります。毎日放課後2時間です。無料です。やりますか?”
私も主人も 答えは no だった。これが特別扱いをしない基本である。

息子には
”自分ができないことがあっていいんだよ。適当にがんばって”
というと
”1番目指してがんばるんだ。すでにテコンドは2位だもん。”
という。

どんな多文化家族の子供が、学校に入学する際にそれなりの緊張感とストレスがある。
周りの子供からも多くの意見を聞いている。
息子が苦労してきたその部分は今となってはへっちゃらであり、適応力が身についたのではないかと思う。

とにかく、良かった。
韓国語は英語の領域を超えて難しい。
登校拒否するんではないかと思っていたが、そんな心配は今のところなさそうだ。





2012年5月23日水曜日

子育てノート



 子供にやってはいけない教訓

ー宿題やったの?早く勉強おわらせちゃいなよ というような、子供のやる気を伏せるような発言をしない
ー妹とけんかして妹をなんかの調子でぶってしまったときに、頭越しに怒らない。
ー子供を注意するとき、親の論理で固めて一方的に怒らない
ーこれほしい!とスーパーでだだをこねだしたときに、頭越しに”家にあるでしょ。だめ”と否定しない
ー触ってはだめというものを継続的に触る子供に対して、これは触っちゃだめ!と注意しないように。子供は好奇心の塊。触りたい気持ちがあるのは当たり前。


子供にやるべく教訓

ー宿題を目の前に勉強の楽しさを教えてあげる
ー親がいっぱい褒めてあげれば 子供も他人を褒められる子供になる
ー誤って子供が弟妹をぶってしまったりしたら、ぶった理由を聞いてあげて、優しく
ー外でほしいほしいが始まったら、”そう、ほしいの?”と間をおいてあげて、考えさせる。おうちに眠っているおもちゃについて考えさせるまで
ー子供に障ってほしくないものは子供の手の届かないところに置く


私は自分が子供を怒りそうになったときに10秒おくように心がけている。

息子に、”なんでままはそんなに怒るの?”と聞かれたことがある。

妹が優先されると非常に頭にくるらしい

一方妹はは兄貴が怒られているのを横目に、その時間を利用にしてお片づけをしていることがあった。

器用に生きている。

子育ってというのは非常に時間がかかり神経を使う。自分で書いてみたものの、昨日自分は母親として何個できているだろうか。

ところで

先日、ある公園で私が5分席をはずしている間に、ある高学年が、息子が持っていた100円を交渉してもっていき、そのままスーパーでお菓子を買っているという事件があった。相手は小学生の高学年。女子2人組。

息子”さっき、おねえちゃんに100円あげた。ぼくが、あげたかいから あげたんだ”

私”あなたがあげるっていったの??”

”先におねえちゃんが、ぼくがもってたキャンディーがほしいからお金ちょうだいって いった”

お金を持っていってしまった女子は私が知っている子供だったので、聞いてみた。昔は二人の子供といっぱいあそんでくれた優しいお姉ちゃんだった記憶がある。

彼女らはすでにスーパーでお菓子を購買済みである。

女子 ”私がほしいといったんじゃなくて、くれるって言ったから。返す必要があれば返しますけど!!!??” かなり強気である。しかも慣れてる。

私(と知り合いのお母さん) ”ほしいものがあるときは小さい子に聞かないでね。このお金を息子にかえしてあげて。変わりにきょうはおばさんが買ってあげるから。”

小学生の高学年。女子2人組 ”いいですよ!”といいながらも ”いいんですか?ありがとうございます。”といって買った商品を手にして家に帰っていった。

おどしながら取るよりも、まだいいけれども、、、いいのだろうか。

実際子供の間で起こったことなので、実際どういう会話があったのかは、わからないが、

彼女らから、ごめんなさいの 一言くらいあってもいいかと思った。でも、親の出ようによっては後で子供がなにをされるか分からない。

そして、わが息子にもお金の価値というものを教える時期に来たと思った。



韓国にかぎらず、多少の事件は仕方ないのだろうか。

たとえば人の家に遊びにきたときに、物を取ってしまう子供もいるときいた。

前は、たまたまうちに遊びにきた子供が、夜8時まで滞在。習い事が一緒というだけであまり知らない子だが、家に帰りたくないと泣きじゃくる子供だった。車の中で非常に大変だったことを覚えている。

とんでもない若い年齢で、たばこをすう子供。先生が見つけて親に電話しても、怒らないでくださいという親達、、。

そしてよく目にする男達の激しい遊び。


こちらの両親が、テコンドだけは絶対やらせなければならない、自分を守る為に必要なんだといい続ける。

分かる気がする。

子供が親に隠して何かをやり始めるのは仕方ないかもしれない。それでも、家庭で不満がたまったり、親の理解が得られないと 子供も何かしら外で事件が起こるのではないだろうか。

暖かい家庭作り、子供への思いやり日々の教訓。

写真はもう一人妹がほしいと願う息子。




2012年5月15日火曜日

Thank you for birthday wishies from all over the world





数え年で32歳、それでなければ31歳になりました。 母になるとハデにお祝いするなんてことはなくなってくる、、、と思いつつ、なんらかの形でお祝いされてる気がします。

今年は息子の運動会、そして主人、こちらの両親から誕生日祝いのプレゼント祝福を受けました。 日本の母からもかわいいものが届きました。 世界から届くメッセージ。ありがとうございました。

私はここ韓国でものすごく優しく、素敵な父母に恵まれています。

そのおかげで、苦労は確かにありますが、なんとかここまで韓国生活を充実させており、 そしてこれからもそうでありたいと日々努力する毎日です。 韓国的な 愛情深い表現ですが、 常に義理の父とは母  私は本当の娘だと思っていると 言ってくれます。

電話を切るときは 사랑해요- 愛しているの一言。 最初はなれなかった私もすっかり 사랑해요 の一言がすんなり。


慣れてしまうと恥ずかしいとかないですよ。できますか。

そして 日本を大学卒業後に離れてから日本で見守ってきてくれた両親、 アメリカに行かせてと飛び出し、その後韓国人と結婚、10年以上も日本を離れることになりますが、ここまでやってこれたのはあの日本の父と母がいるからに違いはありません。
現在も遠かれ応援してくれている父母に感謝でいっぱいであり、 と同時に身近でなにもできない寂しさとむなしさ、情けなさを感じることがあります。
しかし、遠いからこそ分かる何かっているのがあるんですね。あると信じています。

皆様、ご両親そして義理の父母を大事にしましょう。

それでは改めて自分に言い聞かせる教訓

1.まず妻としての教訓

とことん旦那を支えるということ 非常に古い考え方に聞こえますが、大事です。


2.母親としての教訓

子育てが最優先である    子供を犠牲にするくらいなら仕事はやめろ  本当に大事です。



私は自分が主張を押し通す際に、韓国に来てから意見の主張の仕方が随分変わったなと思う部分があります。

しかしそれはおそらく今自分がここ韓国で本格的に社会でやっていくための手段みたいなものなのかと思っております。 国によって一つ一つの交渉の仕方とかやり方が違いますが、会社を通したり、市場に出たり、仕事仲間を通したりすると、その国々の国民性みたいなのが見えて、これはひとつの仕事の楽しみなのかなと考えました。これをストレスと捕らえると、何も前に進めません。たた乗り越え学べという方が前向きなんでしょう。
社会人として31歳になった今、韓国にも仕事のフィールドを広げています。

また子供の話になってしまいますが

現在長男が関心を抱いているのは国、そして国旗 そして国民性の違いにもはや気づき始め、質問してくるので私も説明に困る部分があります。
所詮私も日本人。子供に対して偏りのない話をして視野を広げてあげるのは時に難しいんです。
そのために、各国の友人というのは本当に大事なんだろうな、とつくづく思っています。

明日から、また1つ1つ前進するのみ。

2012年3月23日金曜日

韓国の教育



日本でも知られているかもしれないが韓国の教育熱は凄まじいものがある。そしてここ韓国で暮らして早3年がすぎ、色々な壁の前にぶち当たってきたが、その中で一部の経験談を書いてみる。

今私の横で年で小学校1年生と幼稚園年少さんになった娘が可愛く塗り絵をしている。が、妹がうまくかけず、上手な兄に怒っている。兄、妹にペンを投げられて怒りつつ、我慢する。よくある普通の兄弟げんか。しかし、以前よりも兄は妹に優しくなった。ここにも理由がある。

長男が習っているものはテコンドーゴルフサッカー剣道。私がネイティブのように教える事ができない韓国語を週に10分先生について習っている。続かないと思うがやりたいというのでバイオリンを始めた。ピアノはやめた。殆どは運動である。韓国で費やす一人当たりの教育費用は一ヶ月何十万とされているが、私の娘と息子は'体が資本'という概念から殆どはスポーツにお金を費やしている。こういう時代だし健康だけは外せないと、体力作りに励むのがいいのではないかと。先生というのは非常に重要である。

私の息子は4才まで何も喋れなかった。アメリカに居て韓国語日本語英語のミックスされた環境に居たからか、私が仕事に没頭していたからか。韓国についた時、幼稚園からはまるで赤ちゃん扱い。韓国に移住して私は子供の為に2年ほど専業主婦に専念する事にした。

お陰で一部言語は回復。しかし当時、韓国語を喋れなかった私と息子は大きな言語の壁にぶち当たる。息子は韓国に住み始めた時、やたら癇癪を起こす事が多かったなーと思う。私も当時、その癇癪に頭を悩ませていた。
4才5才、、、同年代の子が読み書き話を上手に出来ていたけれどもそれにキャッチアップするようにとか、韓国語を全く強制しなかった。ひたすら息子のやる気を待った。結局インターナショナルスクールに入れて自分の居場所を確保したようだった。そこで彼は落ち着いたように見えた。

しかし やはりくる韓国語の壁。実際父親は韓国人、、、。そして現在韓国在住。

キッザニアという色々な仕事の体験ができるという子供の遊び場、いわゆるロールプレイングができるところに行った。大人が入れない子供銀行まである。子供が色々な仕事をし、お金を楽しく稼ぐというシステム。もちろんあくまでもその世界だけで回っている社会だけれどもかなり色々な体験をさせてもらえる。

昨年、韓国にもあるので、長男は親友のジュンヒくんにつられて行ってみる事にした。
ニュースを読んでテレビに出るという仕事を体験したいと親友のジュンヒくんが言う。そこで横でスラスラ韓国語を読むジュンヒくんに対してかなり読めなかったうちの長男じゅん。当時喋れてもスラスラ読めない韓国語を嫌がったが、やってみればできるよと母なりに軽く背中を押してみる。韓国語読めないので出来ませんよとスタッフに冷たく断られ、余計にやりたくなくなる私と長男のじゅん。しかし、しゃべれるからやらせてと親友のママが頼んでくれた。
皆に見つめられ、それでもイヤフォンを通して耳から流れる言葉を繰り返す。絶対やらないとはじめは言ってたけれどもどうにかやり切ったので、、、やたら褒めました。

それからじゅんの韓国語の情熱が芽生え、読み書きがスラスラになった。先生にも何で彼はこんなに勉強をしたがるのかと、聞かれたぐらいやった。タイミングなんです。逆に、母親が韓国語の読解力なし、発音もイマイチなので諦めて自分で解決しようとするのかなあとも思った。日常でパパと祖父母、友人と話せても、それはそこまで止まりなんですね。悔しさと楽しさが自分で勉強するしかないと自分で気づいたようでした。


今の韓国の子供達は親がハイレベルを求め、学校が反応し、また親が求めという悪循環が子供のハードルを異常に高くし、それについていけないと劣等感に陥る、やりたくないのにやる、皆がやってるからやる、というひどい状況。この状況を続けたり、子供のうちからぎゅうぎゅう詰めると、小学校高学年くらいに爆発してしまう生徒も少なくないそう。教育とは一体何が大事なんでしょう。何を教えるべきでしょうか。幼稚園の子、小学生は、考え方や発想、知恵を身につける事が大事なのではないでしょうか。遊びだって勿論大事。時代が違うとはいえ、私は結構遊ばせてもらい自由にやらせてもらえたので、親に感謝しているとともに、同じようにさせてあげたいと思う。


3ヶ国語を相手にしているし、こういう家族構成と環境だから他の子供と言語のレベルを比べる必要はなく、自分は特別だと考えて、という事をいつも教えている。何が彼の得意なのか。これは非常に大事。
たまに、長男じゅん(ヒョンジュンが本名)に、何語で考えているの?と聞くと、すんなり日本語と答える。母親に気を使っているのかと思ったが、そうでもなさそう。学校で使う英語でもなく、日常で使う韓国語でもなく、私と使う日本語なんだそう。不思議ですね。なりたいものも建築家だそうです
そんなものは時がたつに連れて変わっていくでしょうが、いかにこの年の子供が母親の影響力が大きいかわかります。

丁度1年前、長女が同じような問題に突き当たり、長女も長男と同じように苦労しました。彼女は今純粋な韓国の幼稚園にいっています。3歳の子の教材とは思えません。これをやらせたからといって大きくなって何も変わらないので必要最低限で対応するのみ。
こんな小さいのに、、、。
先月の幼稚園の大舞台で顔を真っ赤にして韓国語で自己紹介できた彼女を見て、全く涙止まらず。一時は先生に家庭でも韓国語を使ってくださいと言われ、韓国語は私が教える分野ではないと拒絶した私。それでもここまで自己紹介できたじゃないか。안녕하십니까, 저는 포비반 김현아 입니다 ってしっかりと。これもしっかり褒めました。


今日は長男の面談の日。学校で学んだこと、部屋にあるものを紹介、彼の言葉とペースでプレゼンしてくれるという素敵なものだった。やはりわたしはゆとりのあるこの教育が好きである。日本の教育は最近どうなのでしょうか。結構最近はやらせていると聞きますが、、、。

最近は仕事も自分のペースで復帰しはじめたが、全ては子供主体でまわる目まぐるしい毎日。のびのび育て子供達。

2012年1月1日日曜日

Happy New Year from Seoul



2012年になりました。皆さんはどのように年を越しましたか。
私は家族とソウルを回って義理の父母と合流。1月1日には朝からトックというおもちのようなスープを飲んでお祝いしました。

日本を離れてメディアを通して痛感した震災の痛み、2011年はショックの連続でした。日本を離れてもう10年が経ちますが、これほど祖国を心配したことはなかったと思います。韓国から流れてくる報道は、日本のメディアで隠されている部分をいち早く報道することもあったりで、流れてくるニュースの事実を突き止めるのにとても苦労したように思います。どうか2012年、日本がまっすぐ事実を受け止め、前向きに復興してくれることを願います。

去年は私にとっては大きな変動の年でした。ソウルで建築の方で会社員としての復帰を目指そうかと思っていたものの、自分のライフスタイルや生活にフィットしないと判断、やりたいことは自分で始めようということで、父から開いた会社をひとつ引き継ぎ、ビジネスコンテンツを変更、デザイン、輸出輸入、ショップ、建築デザインの方面を会社を通してスタートを切りました。韓国の方でも、12月に個人事業として登録を済ませ、セットアップ完了の2012年をきりました。

さらっとみると、色々やりすぎなんじゃないかと思う方もいらしゃると思いますが、何事も前向きに積極的に取り組むのは昔から得意で、遠い未来のことを考えると、自分が今はじめたことは絶対に間違っていないと確信しています。
会社を開くことなんて簡単で、用はそれをどう運用していくか、ビジネスなんて0円からだってできる、そんなことを頭に置きながら、自分のあらゆる技量と経験を生かして地道に道を切り開きはじめました。これからの色々な出会いに期待します。

子供も2人すくすくと育ち、6歳3歳、子育ては楽しむにつきる。子供に色々なことにチャレンジさせてそれに従う長男の姿勢をみたり、下の子も兄の姿を見ては覚える、働く父母を見て興味を示す愛嬌さとか、韓国の教育熱にお金をつぎ込んでしまう韓国の母親たちの気持ちを理解してしまう私も変わったなーと思います。
生涯子供と一緒に勉強できたらいいなとおもって、彼らが大学に上がるくらいに私もアメリカであきらめた博士課程を、、なんて考えることもあります。
結婚して8年。主人との仲が年を増すことに良くなっていくのに気がつきました。

全てにおいて苦労はまた尽きない部分もあるけれども、苦労は買ってでもしろ。勉強勉強。ひとつひとつがんばって行きますので応援よろしくお願いいたします。

2011年12月20日火曜日

子育てと仕事の両立 1.会社とのコミュニケーション


母親主婦業というものは一人の人間を一から育てるという最も難しい業務です。それに対して仕事を両立しようというのは、果てしない苦労の連続なのではないかと思われます。この社会現象、少子化や高齢化社会でありながらも、子供を産み育てたいと思いつつ仕事を継続したいというモチベーションの高い女性を私は心より応援しています。身近な視点から、自身の生活経験から単的に書き綴り、連載していきたいと思います。

1.仕事とのコミュニケーション、ボスの理解
仕事の業種にもよると思いますが、仕事をしている母親にとって子供とのコミュニケーションの時間というものは非常に限られてしまします。私がアメリカでデザイン関係の携わっていた時、仕事場に行くのに7時に家を出発、夜は早くても8時というスケジュールの中での非常に限られた時間帯での子供とのふれあいの時間しか許されませんでした。会社というものは時に厳しいものです。時間内に終わらない場合は残業があります。
その中でボス、社長の理解というものは非常に重要度を占めてくるんですね。ボスに時間的制約の特別許可を得たい場合、何か自分の功績、他の人には出来ない特別な能力を見せて、自分の会社中での地位を確かなものにしなければないません。とりわけ自分が素晴らしい業績や結果を見せた際にボスの理解が増すと思います。それが時間的制約の交渉を話す機会です。
子供がいるから出来ない、子供が病気だから、、、というのを嫌がる会社も多いでしょう。でも子供がいるから仕方ないんですよね。基本的に子供がいるからは禁句ですが、子供がいるから理解できる事、できる事だっていっぱいあります。子供がいるからできる事の方が案外多いんですね。その要素を生かして、会社で素晴らしい業績を獲得しましょう。

主婦業をしている間、子供とのコミニュケーションの時間、とりわけ仕事の事を考えたりするのはやめて、子供との時間に専念しましょう。残業も家に落ち込まないのが理想的。そして子供との対話を重要視して下さい。たとえ子供が0歳でも。家にいる間はテレビを消して家事を共にしたり、子供の話を良く聞いて繰り返してあげたりすると、子供に話しかけてあげる事、褒める事、その時間以上の価値観が増すものです。

次回は 子供と一緒に寝ていますか?についてです。