数え年で32歳、それでなければ31歳になりました。 母になるとハデにお祝いするなんてことはなくなってくる、、、と思いつつ、なんらかの形でお祝いされてる気がします。
今年は息子の運動会、そして主人、こちらの両親から誕生日祝いのプレゼント祝福を受けました。 日本の母からもかわいいものが届きました。 世界から届くメッセージ。ありがとうございました。
私はここ韓国でものすごく優しく、素敵な父母に恵まれています。
そのおかげで、苦労は確かにありますが、なんとかここまで韓国生活を充実させており、 そしてこれからもそうでありたいと日々努力する毎日です。 韓国的な 愛情深い表現ですが、 常に義理の父とは母 私は本当の娘だと思っていると 言ってくれます。
電話を切るときは 사랑해요- 愛しているの一言。 最初はなれなかった私もすっかり 사랑해요 の一言がすんなり。
慣れてしまうと恥ずかしいとかないですよ。できますか。
そして 日本を大学卒業後に離れてから日本で見守ってきてくれた両親、 アメリカに行かせてと飛び出し、その後韓国人と結婚、10年以上も日本を離れることになりますが、ここまでやってこれたのはあの日本の父と母がいるからに違いはありません。
現在も遠かれ応援してくれている父母に感謝でいっぱいであり、 と同時に身近でなにもできない寂しさとむなしさ、情けなさを感じることがあります。
しかし、遠いからこそ分かる何かっているのがあるんですね。あると信じています。
皆様、ご両親そして義理の父母を大事にしましょう。
それでは改めて自分に言い聞かせる教訓
1.まず妻としての教訓
とことん旦那を支えるということ 非常に古い考え方に聞こえますが、大事です。
2.母親としての教訓
子育てが最優先である 子供を犠牲にするくらいなら仕事はやめろ 本当に大事です。
私は自分が主張を押し通す際に、韓国に来てから意見の主張の仕方が随分変わったなと思う部分があります。
しかしそれはおそらく今自分がここ韓国で本格的に社会でやっていくための手段みたいなものなのかと思っております。 国によって一つ一つの交渉の仕方とかやり方が違いますが、会社を通したり、市場に出たり、仕事仲間を通したりすると、その国々の国民性みたいなのが見えて、これはひとつの仕事の楽しみなのかなと考えました。これをストレスと捕らえると、何も前に進めません。たた乗り越え学べという方が前向きなんでしょう。
社会人として31歳になった今、韓国にも仕事のフィールドを広げています。
また子供の話になってしまいますが
現在長男が関心を抱いているのは国、そして国旗 そして国民性の違いにもはや気づき始め、質問してくるので私も説明に困る部分があります。
所詮私も日本人。子供に対して偏りのない話をして視野を広げてあげるのは時に難しいんです。
そのために、各国の友人というのは本当に大事なんだろうな、とつくづく思っています。
明日から、また1つ1つ前進するのみ。
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